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母校から(旧年度)

ご縁の深い中学校との新たな歩み

(フレッシュアップコミュニケーション2023年版より転載)

学校長 馬場哲生

学校長 馬場哲生

本年4月に竹早中学校校長に着任いたしました馬場哲生と申します。日頃より同窓会の皆様からは温かいご支援をいただき感謝申し上げます。

 この場をお借りして、簡単に自己紹介をさせていただきます。私の専門は英語教育です。母語の習得と外国語の学習を比較すると、特に音声と文法に関して、母語は、意識せずに、努力せずに、完全に習得することができるのに対して、外国語は多くの場合、意識して、努力して、不完全にしか習得できない、という違いがあります。母語の習得の過程は奇跡とも言えるものですが、外国語学習においては、この奇跡は条件が揃わないと起こりにくくなっています。でも、たとえ奇跡が起こらなくても、効果的な学習方略と努力によって、かなりのところまで到達することはできます。その習得を導くことが外国語教師の主たる役割であると言えます。また、外国語教育には、言語や文化への気付きを促し、文化間コミュニケーションを促進するという役割もあります。

 さて、私は学芸大学には1998年に赴任しました。現在は教職大学院に所属し、教職大学院生を中心に、学部生、博士課程の院生など、様々なバックグラウンドを持った学生の皆さんと過ごしています。現職教員との接点も多く、中でも竹早中学校とは、毎年教育実習生の研究授業の参観に訪れてきたほか、幼・小・中連携プロジェクトに関わっていたこともあり、ご縁の深い学校です。

 竹早中学校には自主性を重んじる校風が根付いていて、教員は創意工夫を発揮して指導を行い、生徒の皆さんは主体的かつ積極的に学習に取り組んでいます。 一方で、設備の老朽化に伴い各所で更新・修繕が必要になってきており、国からの運営費交付金が減らされている中で、安全かつ時代の要請に応えられる学習環境を整えるためには、同窓会の皆様からのご支援がますます大切になっております。皆様からのさらなるご支援をよろしくお願い申し上げます。

創立75周年にあたって

(フレッシュアップコミュニケーション2022年版より転載)

学校長 藤本光一郎

学校長 藤本光一郎

 同窓会の皆様には、日頃より本校へのご理解とご支援をいただき、誠にありがとうございます。

 いよいよ創立75周年の年となりました。皆様のご支援による記念事業として実施している体育館改修が、昨年の床改修に引き続き、この夏の音響改善工事をもって完了予定です。お披露目もかねて2023年3月には記念式典を実施する予定です。式典の内容などは検討中です。コロナ禍で残念ながら多くの皆様に学校にお越しいただくことは難しいのですが、改めてご報告させていただきたいと思います。

 次に、学校の状況を簡単に報告させていただきます。今年度は日帰りですが3年ぶりに校外学習を実施いたしました。部活動なども含めて生徒たちの活動は少しずつコロナ前の状態に戻りつつあります。学年別開催など規模を縮小して実施してきた運動会や文化研究発表会なども、できるだけ従来に近い形で実施すべく工夫を重ねているところです。

 また、本校の学校研究として行ってきた多様性の研究をまとめた書籍が2022年3月に出版されました(注1)全教員が関わっております。今の竹早中で行われている授業がリアルに描かれておりますので、興味ある方はぜひ手にとっていただければと思います。

 さらに、大学や企業にも参加いただき、幼小中連携で実施している「未来の学校みんなで創ろう。プロジェクト」は第一期の3年目を迎えました。いろいろなことを行っているのですが、この3月には高速通信環境のSUGOI部屋が整備され、様々な授業や活動に使われております。プロジェクトの現状について、大学のサイトに未来の学校のコーナー(注2)があります。ぜひご覧ください。

 会員の皆様のご活躍とご多幸をお祈りするとともに、引き続きのご支援とご協力をよろしくお願いいたします。

注1 「竹早」×「多様性」でえがく未来~多様性を理解する、活かす教育実践~
東洋館出版社2022年出版

注2 https://edumotto.u-gakugei.ac.jp/mirainogakkou/

創立75周年に向けて

(フレッシュアップコミュニケーション2021年版より転載)

学校長 藤本光一郎

学校長 藤本光一郎

同窓会の皆様、日頃より様々な形で本校にご協力をいただき、誠にありがとうございます。

昨年度はコロナ対応に追われた一年でしたが、今年度はコロナ対策と子どもたちの学校生活の充実との両立に努めて学校運営を行っております。3月には72期143名を送り出し、4月には75期140名の新入生を迎えることができました。式典に在校生は参加できませんでしたが、保護者の方々も参列し、人生の節目の日を思い出深いものにできたのではないかと思います。4月には教員の入れ替わりも多くありました。

さて、来年度、2022(令和4)年度は、本校創立75周年の記念すべき年になります。すでにお知らせいたしましたように、75周年事業の柱としては、同窓会の皆様をはじめ多くの方々からいただいた寄付をもとに、体育館が改修されます。機器類やカーテンなどの音響改善工事はすでに行い、今年の夏に体育館の床の改修工事を行います。オリンピックや国際大会の基準にも適合する素材を用い、安全性、メンテナンス性が向上します。床の改修後、必要があれば追加の音響工事を行います。このような多額の費用のかかる工事は、大学の財源を頼って行うことは残念ながら困難です。今回のように目的を絞って寄付金を募り、事業を行うという形式は、私立学校では普通に行われていることですが、国立の附属学校では例が少ないようです。これも同窓会、創竹会、PTAの三者の皆様のご協力のおかげと、改めて感謝申し上げたいと思います。今回の取り組みを一つのモデルとして、今後の子どもたちの教育環境の整備につなげていくことができればと考えております。

また、2022年度の終わりには、コロナ禍が少し収まっていることを期待し、体育館のお披露目もかねた記念行事も実施できればと考えております。実施にあたりましては、同窓会の皆様のご協力を是非とも賜りたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

新たな道を目指して

(フレッシュアップコミュニケーション30年版より転載)

学校長 丹 陽子

学校長 丹 陽子同窓会の皆様には日頃より大変お世話になっておりまして、誠にありがとうございます。本年三月には創立七十周年記念式典を無事に挙行させていただきました。ご協力誠にありがとうございました。本年度も何卒よろしくお願い申し上げます。

昨年十月の竹早小・中学校校舎より出火いたしました火災につきましては、大変ご心配をおかけいたしました。心よりお詫び申し上げます。旧年中は学習環境の検査、使用教室の確保等をはじめとして種々の困難がございましたが、その後、年明けからは全教室が普通に使用できるようになり、学習への支障は来さない状況になりました。職員室・事務室・校長副校長室は夏休み期間中に工事を行うこととなっております。今後はより一層安全管理に心がけて参る所存です。

また本校は、平成二八年度より東京学芸大学の「附属学校等と協働した教員養成系大学による『経済的に困難な家庭状況にある児童・生徒』へのパッケージ型支援に関する調査研究プロジェクト」に参画し、教材開発並びに授業研究を行って参りました。これに加え、平成二九年六月に東京学芸大学と自治体が締結した「児童の学習機会の充実に関する協定」(GSP)に基づいて平成三十年度より特別連絡進学を実施し、その体制を確立するとともに、研究体制の準備を開始いたしました。

自己実現への強い意志を持ち、自分の人生を切り開いて行こうとする積極性と学習意欲を持つ生徒たちが、置かれた状況によって断念することなく、成長していくことのできる環境作りは、現代社会の重要な課題の一つです。主体性を重視した園児・児童・生徒の育成を長年にわたって行ってきた竹早地区の幼小中連携教育研究の土壌の元に、このプロジェクトを進展させ、子どもたちが希望を持って自己実現に向かっていくことのできるモデルを構築することが、本校に課せられた使命と考えております。

同窓会の皆様には以上の趣旨にご理解を賜り、今後とも一層のご支援ご協力をよろしくお願い申し上げます。

竹早で育まれるということ

(フレッシュアップコミュニケーション30年版より転載)

副校長 森 顕子

副校長 森 顕子「今いる場所も愉しいけど、外に出てみて、竹早のことがますます好きになりました。竹中、大好きです。」

様々な代の卒業生が、頻繁に訪ねてきてくれます。一人でふらりと現れたり、友達数名で連れ立って来たり。そして笑顔で、或いは涙を流しながら冒頭の言葉を伝えてくれることがよくあります。同級生が娘息子を受験させたが縁を持てなかったことを心から残念そうに話す姿に接したり、教え子達が保護者となり、竹早育ちが二代三代になったりしていることを知る都度、今、私は竹中にいられて本当によかった、と心から思っています。

ご挨拶が遅れました。本年四月、副校長に着任致しました森顕子と申します。平成元年に市川市の公立中学校から参りまして、はや三十年。(大学院と小金井中学校に二年間)専門は国語で、詩の創作学習と『万葉集』を中心とした和歌を楽しく学ぶのが私のライフワークです。

竹早在籍は、教師としては二十九年目となるわけですが、実は児童生徒として九年間お世話になりました。竹中では二十九期にあたります。

教師として、後輩たちの人生に身近に関われる幸せを享受してきましたが、今度はご恩返しも含めて子どもたちを育む場全体に関われるときが来たのだ、と思いつつ現職にあたっております。

竹早で得た友人たちは私の人生の大事な核であり、宝物です。様々な形で竹早を支えてくださっている同窓会の皆様の中に友人たちの姿が見えるととても嬉しく誇らしい気持ちになっておりました。そんな自分も自分にできるだけのことを精一杯やっていこう、と決心いたしました。微力を尽くす、まさに字の通りですが、同窓生として先輩の皆様、同輩後輩の方々の支えをいただきながら、これからも「竹中、大好き。」という言葉に包まれた学校づくりを目指していきたいと思います。一層のご支援ご協力の程よろしくお願いいたします。

竹中出身者が持っている雰囲気

(フレッシュアップコミュニケーション28年版より転載)

副校長 勝岡 幸雄

副校長 勝岡 幸雄 早いもので、竹早中学校に赴任して四半世紀が過ぎました。平成二年に着任して。平成四年三月に卒業生を出しました。その卒業生も四十近い年頃です。私が年をとったなと感じるのも致し方ないですね。

ところで、先日卒業生が来校し、二時間ほど昔話や近況を話してくれました。帰り際に記念写真(?)を撮って帰りましたが、彼の話でとても頷ける内容がありましたので紹介したいと思います。

現在、弁護士を職業としている彼は、勤務先の弁護士事務所で中堅ということでした。

所属している弁護士の人数は多い方で、その中に竹早中学校の卒業生(当然同窓生)も数名いるようです。しかし、彼には同窓生が直ぐに分かるというのです。「やはり、竹中出身者は持っている雰囲気が違うんですね。」

ここで言う雰囲気とは、どのような雰囲気だったのでしょうか。その時は具体的に年経っても竹早中学校の生徒が私に見せる人懐っこい(彼が正にそのままの)姿を思わずにはいられませんでした。

社会人になっても同じなんだなと思っていますが、この文章を読んでいらっしゃる卒業生の皆様に、私の思いは間違っていなかったか教えて欲しいと思います。私が長くこの地で頑張って来られたのも、別れ難くさせる竹中生の「持っている雰囲気」人懐っこさがあったからだと思っています。如何でしょうか。

最後になりますが、国立大学法人が置かれている厳しい状況の中、物心両面での変わらぬ援助に心より感謝しております。
今後ともよろしくお願い致します。

附属学校として向き合う課題

(フレッシュアップコミュニケーション28年版より転載)

学校長 丹 陽子

学校長 丹 陽子 同窓会の皆様には日頃より大変お世話になっております。誠にありがとうございます。本年度も校長を勤めさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。

 新年度が始まった直後、熊本県で大きな地震が起こり、五月に入った現在もまだ続いています。被災された皆様にお見舞いを申し上げます。四月末に全国国立大学附属学校連盟並びに全国国立大学附属学校PTA連合会から熊本大学附属学校園より支援要請があったとの連絡が入りました。本校でも趣旨に賛同し、PTAの皆様からのご理解もいただいて教職員の募金をはじめ、保護者の皆様へ募金へのご理解とご協力をお願いし、生徒たちには、生徒会を中心に募金について具体的な行動を検討するよう指導を開始いたしました。自然災害は近年日本全国どこにおいても頻発しており、日頃の準備と発生した時の助け合いと協力がますます重要になって来ております。本校といたしましても一層の心構えをして参りたいと存じます。

 大学改革が進められる中、国立大学附属学校に対する社会の見方も変化しつつあります。附属学校の存立の意義が、時代の変化の中で改めて問われているといえましょう。本年一月二十二日に竹早地区幼小中合同の公開研究会を開催いたしました。当日は六百人近い参加者をお迎えし、盛況のうちに終えることができました。本年度より小中一貫の義務教育学校の設置が実施され、今までにも増して、一貫・連携教育に対する関心の高まりがあったように思われます。一九八〇年代から小・中学校一体型の校舎に改築、連携教育の実践、理論研究とデータベース作成と地道に研究を積み重ねてきた竹早地区の実績が評価された証しであると考えております。本校ではこうした実績を踏まえつつ、さらに現代的な課題に対して、附属学校としての役割を真摯に考え、対応していく所存です。

 同窓会の皆様の一層のご理解とご協力を心よりお願い申し上げます。

訃報 小野祐一先生ご逝去

竹早中、附属高校の旧教官、小野祐一先生が、2016年2月8日永眠されました。
家族葬にて葬儀は下記のとおり執り行われます。
ここに、故人のご冥福をお祈りし、謹んで皆様にお知らせ致します。

告別式 2月14日(日) 10時~11時
場所  落合斎場(住所:東京都新宿区上落合3-34-12 電話:03-3361-4042)
喪主  小野正子

全ての方々の思いを大切に

(フレッシュアップコミュニケーション27年版より転載)

学校長 丹 陽子

学校長 丹 陽子 この度四月一日付で学校長に着任いたしました丹陽子でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。創立七十周年も間近という歴史と伝統を持つ、この附属竹早中学校に赴任させていただくこととなり、誇りと重責を感じております。微力ではございますが、長年にわたり多くの方々によって創り上げられ、積み重ねられて来た本校の文化と伝統を大切に継承し、益々の発展に貢献したいと存じます。

 同窓会会員の皆様には日頃より母校のためにご尽力をいただき、誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。 新年度も始まり、校舎内には元気な生徒たちの声が響いています。一日一日と成長して行く姿が、大人たちを励まし、力を与えてくれます。まだ幼さの残る一年生も一年後には大きく成長していくことを思うと生命の力強さ、若さの可能性を感じずにはおられません。

 近年国際社会では、未来ある青少年が理不尽に殺害される事件も多発しております。また急速な時代の変化の中で人々は翻弄されかねない危機感の中に生きております。これからの世界を、地球を担っていく子どもたち・若者たちの命を守り、豊かな成長を促すことは、世界全体が厳しく問われている現代的課題であると思います。

 本校の教育方針「自ら求め、考え、表現し、実践できる生徒を育てる」「他人の立場や意志を尊重できる、視野の広い生徒を育てる」「心身ともに明るくたくましい生徒を育てる」は、どのような時代にあっても人間が求められる基本であると確信しております。この教育方針を実現すべく、日々努めて行くことが最も大切なことであることを肝に銘じて励んで行きたいと考えております。

 校長副校長室の窓から見える青葉が美しく、命の輝きを感じさせてくれます。ビルに囲まれた都心でありながら、所々に何十年にも及ぶであろう大木の姿や街路樹の豊かさに驚かされます。小石川の地の歴史にも思いを馳せつつ、本校に携わる全ての方々の思いを大切に努めてまいりたいと存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

25年前があるから今の自分があること

(フレッシュアップコミュニケーション27年版より転載)

副校長 勝岡幸雄

副校長 勝岡幸雄 今年度より、副校長に就任しました勝岡と申します。私が竹早中学校に赴任して25年が過ぎました。着任したときの驚きは、まずは旧校舎の佇まいでした。外見のレンガ造りの様相と校内の天井の高さ、彫刻が施された内装、これまでに勤務した都内の中学校とはまるで違う、タイムスリップしたような不思議な感覚は今でも記憶として残っています。

 ところが、校内を闊歩する生徒達は、建物の趣とは異なり、モダンな雰囲気を醸し出していました。更に、多方面にわたり能力の高さを示す姿を見せられ、驚きの連続でした。ですから、正直不安がなかったわけではありません。

 そんな時、3年生の理科の授業で、私は思ってもいなかった体験をします。当時の私はワークシートを用いた授業をしていました。それも手書きのワークシートです。きっと、「活字のワークシートにしないのか」と言われるだろうと思い、準備を始めていました。

 男子生徒が「先生、ワークシートをこのまま手書きで作ってくれますか。」と発言するのです。理由は「手書きのプリントは温かみがあるから」だと。多くの生徒がそれを支持しました。授業に温かみを求めるなんてと思いましたが、竹早中学校にいる間は手書きを続けると、私は約束しました。その後教える学年が変わる度、私はこの経験を話します。すると、例外なく多くの生徒が支持し、変わることなく今日まで手書きのワークシートで授業に取り組んできました。

 研究授業後の協議会でも、何故手書きのプリントを用いているのかと必ず聞かれます。私は―きっと嬉しそうな表情をして?―この体験を話します。そして、羨ましがられます。本当に素晴らしい学校で、教師という仕事が続けられていることに感謝しています。

 大好きな竹早中学校のために精一杯頑張りますので、今後ともご支援のほど、宜しくお願い致します。

新任挨拶

(フレッシュアップコミュニケーション27年版より転載)

加藤英明

加藤英明 今年度より主幹教諭と指導部主任を務めることになりました。教科では1年の保健体育を、また委員会指導では図書委員会、部活動ではバスケットボール部とダンス部の顧問をすることになりました。皆さん宜しくお願いします。

 この4年間は、国際中等教育学校にいましたので、前任校の特徴をいくつか紹介したいと思います。まず紹介したいのは、マナーを重んじルールは必要最小限にという校風です。一人一人のマナーが向上すれば、ルールは必要最小限度でよくなり、また最小限のルールがあるゆえに安心して行動がとれるため、人間の活動は活性化するという考えです。日本の国民性を象徴した世界に誇れる考え方だと思いました。

 次に、日本の学校とは違った特徴のあるカリキュラムを実践していましたが、その一つに『国際教養』という授業がありました。そこでは、コミュニケーションやプレゼンテーション能力を向上させる実践が多く行われています。グループでテーマを決めて調べたことをパワーポイントを使って発表するというような活動を1年生から行っていくので、2年生が終わるくらいには、パワーポイントを使いこなして堂々とプレゼンテーションする力を身につけています。こうした能力は、早いうちから鍛えておくべきだと痛感しました。

 また、海外経験がある様々な職種の方の講演もたくさん聴くことができました。移民を対象に海外で図書館を建てた話や南極調査隊の話、近年実現するであろう宇宙旅行の話など大変興味深い世界規模・宇宙規模の話を聴き、見聞を広めることができました。

 国際中等の仕事にやっと慣れたところで竹早に戻ってきましたので、こちらで本領を発揮できるには、しばらくのリハビリが必要かと思います。国際中等で学んだ良いところを指導に活かし、竹早中に貢献できるようがんばりたいと思います。

退任挨拶 竹早に来たりてありがたき四年間を思う

(フレッシュアップコミュニケーション27年版より転載)

前校長 渡辺 雅之

竹早を 四つとせ過ぎて 仰ぎ見ん
此処より他に 比するものなし

去る三月三十一日をもちまして小職は校長を退任いたしました。二期四年という任期を全うできましたのは竹早中学校の伝統の力にあると感じております。また、多くの方々から応援をいただいたおかげでございます。特に同窓会の皆様には心から厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

 国立大学法人の附属学校園では、従来より、学長より任命された大学教員が校園長として赴任する仕組みのため、小職の場合、三・一一の直後だったこともあり、不案内がゆえの不安を抱えたままでの着任でありました。

 しかし、実際にはその不安とやらも瞬く間に氷解したのが事実なのでした。その理由には、民主的な職場の在り方を求める教員の協力と努力、主体性を育むことを目的とした竹早中のモットーに真摯に応えんとする生徒諸君の精励恪勤、学校運営を車に例えるならばその両輪にあたる父母と教師の信頼関係に裏打ちされた絆の強さ、創竹会という教育後援会の愛ある支援の深さと広さ等が挙げられましょう。

 小職はこうした環境で何ができるのか、何をせねばならないのかを考えました。少なくとも伝統ある竹早中学校の名を汚すことがないよう、生徒たちのために、職場のために、とにかく全力投球しなければと思い、卓球部顧問としての活動?卓球小僧なものでして?も含めてそのように努力したつもりでございます。浅学菲才の身を十分自覚し、最善を尽くしたと自分なりに思うております。皆様方の評価を頂くには恐れ多いと感じている次第ですが、小職にとりましては楽しい四年間であり、貴重でかけがえのない、充実した四年間であったと申せます。

 そんな思いを戯言師として表現してみましょう。

 森の石松じゃぁねぇけんど、金色の竹早の芝に菊や松あり、渡る岩にも大なり小なりあれど、堀や塚があり、浦には熊棲みても我れ勝たん、酒もて鈴ならせ荒野もやがて楽園ならん。

 これからは大学と附属学校園の渡殿となりて、その発展の礎として微力を尽くしたいと考えております。 重ねて御礼申し上げつつ、竹早中学校の益々の発展と同窓会の弥栄を心から願い結びといたします。

退任挨拶 制服も鞄も変わって

(フレッシュアップコミュニケーション27年版より転載)

荒井 正剛

竹早中学校に着任した時は、ぎりぎり二〇代でした。以来、途中、人事交流での附属世田谷中学校勤務の二年を含め、すばらしい生徒や同僚に恵まれ、とても幸せ者でした。わが子たちもお世話になりたかったですが、住まいが学区域外では話になりません(笑)。そんな遠距離通勤も苦になりませんでした。

 竹早中に赴任した年、授業開始・終了での号令をやめることになりました。指示待ちではなく、主体的に学習の構えを作る。こんな学校を他に知りません。

 また、その年、総務委員を中心に、新しい竹早バックをつくりました。当時は時代の先端を行く鞄でしたが、その鞄も今年度から変わりました。ちょっぴり淋しさは残りますが、中央役員が継続して取り組んできた成果に満足です。

 私が中央役員会顧問の時、制服自由化論議が起こりました。学級だけでなく、生徒全員で議論しようという事になり、体育館に全員集まり、賛成派・反対派・中間派と三つに分かれて、熱く議論しました。ちょうど校舎改築と重なり、女子の夏服を変えたいという要望が高まっていて、制服は残すが変えることになりました。生徒の真剣な議論を受けて、ネクタイやリボン、ポロシャツの色を選べるようにしました。素晴らしい成果です。

 制服と言えば、自分が三年担任の時の修学旅行で、初めて制服着用をやめました。当時は珍しがられました。本校の自由で大らかな校風、試行錯誤を大切にする気風ゆえできたことで、野外での行動がずいぶん楽になったはずです。

 制服や鞄が代わっても、本校の校風を大切にしてほしいと思います。「自ら求め考え、表現し、実践できる生徒」、竹早の誇りである自由研究・卒業研究にも見られる、そんな素敵な生徒像を、今になって社会が求めています。

 私にとって「卒業」した竹早中は、皆さんと同じく「母校」です。いつまでもリピーターの多い学校であり続けてほしいと思います。母校の益々の発展を願ってやみません。 ありがとう!竹早中学校に乾杯!

母校PTA文化厚生部からのお願い

(フレッシュアップコミュニケーション26年版より転載)

例年行われている制服等のリサイクルを、今年度は左記の要領で行います。ぜひご協力ください。

  • 現行の制服(男女とも)、ワイシャツ、ブラウス、ネクタイ、リボン、ベストなど。
  • 運動会(9月27日)、文研( 10月31日・11月1日)当日に受付けます。運動会ではグランドへの階段下に回収箱を設置します。
  • 竹早中学校事務室あての郵送・宅配でも常時受付けいたします。

リピーターの多い学校

(フレッシュアップコミュニケーション26年版より転載)

副校長 荒井 正剛

昨年度三月、本校の酒井やよい教諭が、PTA第三学年理事さんたちとの会話で、たいへん盛り上がったそうです。というのは、PTA第三学年理事さんのうち、何と半分以上が本校はじめ本学附属学校の卒業生だったことがわかったからです。
酒井は本校へ異動する前に附属高等学校で長く勤務しており、多くの卒業生を出しています。家庭科担当で、附属高校の生徒は酒井と多く関わっています。
本校や本学附属学校卒業生がPTA理事をお引き受け頂く方が多いのは、本校の特長をよく理解されて、支援したいというお気持ちの表れであると存じ、たいへん有難く思います。
私自身についても、卒業生の兄弟姉妹は言うまでもありませんが、数年前から竹早小学校や幼稚園に、自分が学年を担当した卒業生のお子様たちが入るようになりました。そして、昨年は教え子の姪御さん、今年はついに教え子のお嬢さんと、部活の顧問を勤めた卒業生の息子さんが、それぞれ中学校に入学し、授業も週一時間ですが、担当しています。
このように本校には、「リピーター」が多いことがわかります。二年前の入学者保護者会で、本校を選んだ理由についてアンケートをとったところ、本校を第一希望とされた方々を中心に、「生徒・卒業生等本校関係者の勧め」を挙げた方が,何と二割を超えていました。このように、卒業生の皆様が本校の良さをお話し頂き、本校に入学されているケースも少なくないと思います。
本校でも数年前から、今では年二回、学校説明会を開いています。今や学校をアピールする時代です。その際、リピーターが多いことは大きなセールスポイントです。私は説明の最後に,必ずそれを強調しています。有難いことです。
その成果もあってか、国立大学附属学校でも受験者数が減少傾向にあるなか、本校では昨年度、男子は微減にとどまり、女子は大幅増と大健闘でした。
これも皆様の本校に寄せる思いによるところと受け止めております。どうぞ引き続きご支援・ご指導の程、宜しくお願い申し上げます。

松浦寿輝という水先案内人を得て

(フレッシュアップコミュニケーション26年版より転載)

学校長 渡辺 雅之

松浦寿輝に初めて巡り会ったのは小論「かつて授業は『体験』であった」。「畏怖も尊敬も、現在の大学からは消えてしまった」ことに同意。昨今「教室は、小ぎれいにパッケージされた口当たりのよい知識を要領よく伝達する、能率的な教習会場如きもの」だ。プルースト「失われた時を求めて」第一巻から直ぐに挫折する始末。しかしひょんなことで鈴木道彦訳文庫版巻末で松浦のエッセイ「プルーストから吉田健一へ」に出会す。吉田健一とは誰ぞ。吉田茂元首相長男の意ではなく文人吉田健一のこと。エッセイのラストに「吉田健一は」プルーストの「『近代の完璧を求める方法』の内に胚胎されたシニシズムとニヒリズムの凄みに対しては十分に意識的ではなかったようにも思う。彼がジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に冷淡であったことなども併せて思い起こされる。」とあった。うっうっジョイスかぁ。「ユリシーズ」が待っているところに吉田健一が「フィネガンズ・ウェイク」に冷淡?大江健三郎への武満徹の書簡に「フィネガンズ・ウェイク」に触発されたとある。えっ何故?柳瀬尚紀訳冒頭「川走(せんそう)、イブとアダム礼盃亭(れいはいてい)を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、・・」何じゃこれ!ロラン・バルト「表徴の帝国」(宗左近訳)に学ぶ。坪内祐三はバルトを「フランスの批評家(いや作家と言った方が正確かもしれない)」と記した。だが松浦はバルトは生前「『批評家』『記号学者』でこそあれ、『作家』などと見なされたためしがなかった」と記す。「表徴の帝国」の印象に近い。さらに松浦は「『失われた時を求めて』のような偉大な長編小説を書くことに憧れつつ、たぶん才能の欠如がその一つでないことだけは明らかないくつかの理由によって、作家になり損ねたバルト。その未決断のうちに窺われる『弱さ』の魅力を愛してきたわたしのような者にとっては」、結局バルトは「単に『記号』を愛した人、それもその意味をではなく、その手触りや色や匂いや味を身体的に愛した人だったのだと思う。」いやはや水先案内人ならでは。

新任挨拶

(フレッシュアップコミュニケーション26年版より転載)

菊地孝太郎

はじめまして。平成26年度竹早中学校に着任いたしました、保健体育科の菊地孝太郎と申します。授業力の優れた先生方や志の高い生徒の姿勢に新鮮な刺激を受けつつ、毎日過ごしております。
これからも恵まれた環境や生徒・保護者・同僚の先生方に対する感謝や尊敬の気持ちを忘れることなく、一歩一歩邁進していきます。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

退任挨拶

(フレッシュアップコミュニケーション26年版より転載)

鈴木淳子

母校の大学の附属学校で勤務でき、本当に嬉しく誇りに思っていたことが、昨日のことのように思い出されます。着任して、私の中での目標は『「東京学芸 大学のため」そして「生徒のため」に、今までの経験を生かし、職務に精一杯取り組んでいくこと』でした。目標を達成したとは言い難いですが、目標を達成するために努力を惜しまず勤務することはできたかと思います。竹早中学校の関係の皆様には、大変お世話になりました。心より感謝いたします。ありがとうございます。

東京学芸大学附属追分小学校・中学校発祥の地 記念銘板お披露目式

(フレッシュアップコミュニケーション26年版より転載)

7月26日
東京学芸大学附属 追分小学校・中学校発祥の地 記念銘板 お披露目式

主催:東京学芸大学付属 小金井小学校 同窓会 撫子の会
東京学芸大学付属 竹早中学校同窓会

文京区立第六中学校の新校舎建設に当たり、記念銘板を設置致しました。
お披露目式当日は、この地で勉学に励んだ同窓生、古谷会長をはじめ竹早同窓会理事の皆様、竹早中学校 荒井副校長や文京区長が参加し、和やかに式が行われました。
是非皆様も文京区にお越しの際には、本郷通り、東京大学農学部反対側の文京区立第6中学校(文京区向丘1丁目2-15)の正面、右側に設置された銘板をご覧下さい。

 同窓会理事  白石 英行




追分校発祥の地に歴史銘板を設置

(フレッシュアップコミュニケーション26年版より転載)

追分4期 金子 修也

現在は文京区が所有し区立六中が使用している元附属追分校の校舎が老朽化したため解体され、新たに区の地域センターを併設する七階建ての複合施設が文京区によって建設されました。
この工事が進んでいた昨夏、附属小金井小学校同窓会〈撫子の会〉(旧豊島小・追分小・小金井小が合流した同窓会)の小金井卒世代の理事らから「この機会に追分校発祥の地の記念碑を造ろう」との声が上がり、早速、伝手を頼って文京区に碑の設置を打診したところ、快く承諾して頂けました。
設置にあたって本施設には石碑などの建込み余地はなく、区と相談の結果、左図のように壁面に銘板を区の歴史紹介板と並べて設置することになりました。
追分小は始めから附属として出発したのでなく、前身に明治に始まる尋常小学校があり、背後に図の銘文に見られるように戦中・戦後期の日本の教育史の一端を示す経緯があります。このことを示さなければ銘板建立の意義に欠けると思い、竹早中同窓会にも諮り、また小金井小や学芸大図書館を訪ね関係する資料を整えて区の教育委員会と打合せを重ね、その上で、両者のパネルの記述が互いに補う一対のものとなるようにし、デザインは端正を旨にして制作しました。
設置工事はこの六月の予定です。完成したらぜひお訪ねください。

(附属小金井小学校同窓会〈撫子の会〉顧問)

追分校発祥の地に歴史銘板を設置

追分と竹早の統合

(フレッシュアップコミュニケーション25年版より転載)

副校長 荒井 正剛

一昨年、大学が各附属学校名の変遷を調査した際、竹早中学校と追分中学校の統合時の校名が問題になりました(奇しくもその年に私は生まれました。)
調べてみると、校名について様々な意見が出てまとまらず、統合一年後に正式に決めることになったようです。結局、東京学芸大学附属中学校となり、さらに五年後に附属竹早中学校と改称しました。しかし、後日たまたま見つけた統合した年のPTA会員名簿には、東京学芸大学附属竹早中学校となっていました。
当時の状況を、追分一期生からご指導された三輪先生に伺おうと、お宅を訪ねました。たいへんお元気で、当時のお話で時が経つのを忘れてしまいました。
けっこう厳しい先生であったと聞いています。私は、化学準備室が社会科準備室の真向かいであったことと、鞆津先生時代の「彼女」に私が前任校でたいへんお世話になったことで、先生には親近感を感じていました。
お話によると、立地場所や生徒数から、校名はいずれ竹早中学校になるであろうが、追分から移ってきた生徒が卒業するまでは、少数派である彼らが寂しい思いをしないよう配慮されたそうです。
当時の在校生で、本校教育後援会「創竹会」でもお世話になっている、七期で追分出身の高畠様や竹早出身の子安様に伺うと、生徒は入り交じって楽しく過ごしたそうで、先生方の配慮を知り、感謝されていました。
昨年四月に二十一期生約二〇名、また、今年三月には十二期生約五〇名が学校見学にお出でになりました。特に旧校舎の写真や絵の前で中学校時代を思い出し、盛り上がっていらっしゃいました。泰山木などの植物や塀などから当時を思い出してみませんか。どうぞお気軽にお訪ねください。
卒業生のご子息が多く入学されていることは、学校の誇りで、学校説明会でも自慢して話しています。皆様の期待に添うよう励みますので、今後ともどうぞ宜しくご支援のほど、お願い致します。

プリーモ・レーヴィと鈴木道彦さんを巡る旅から識字へ

(フレッシュアップコミュニケーション25年版より転載)

学校長 渡辺 雅之

同窓生の皆様いかがお過ごしでしょうか。この3月に無事第64期生を送り出すことができました。新しい仲間として歓迎していただきたく、よろしくお願い申し上げます。
さて、本年1月アルジェリアにて多くの人質が殺害される事件が起き、その背景には何があるのか、きっと歴史的なものがあるのではと調べ始めましたら、アルジェリア独立戦争と鈴木道彦さんが繋がったのです。鈴木さんの1960年代についての回顧録(「越境の時」集英社新書)を読んでいましたら、今度は我が母校の都立小松川高校で起きた殺人事件(1958年)に言及されているではありませんか。驚きましたねぇ。マルセル・プルーストのあの長~い小説『失われた時を求めて』の翻訳者である鈴木さんがサルトルの著書を通じて自我の問題に答えを見出し、ヴェトナム戦争や金嬉老事件との関わりを日本人のだれもが無縁ではあり得ないという「民族責任」について考えていられることに深く共鳴し、自己と徹底的に向き合ってこられたのだなぁと痛感しました。
そして、かつてテクストにしたことのある徐京植さんの「過ぎ去らない人々」(影書房)からプリーモ・レーヴィが脳裏に浮かんだのも、自分自身と向き合うことを考えていた時のことでした。アウシュヴィッツの抹殺収容所に送られた彼は、奇跡的に生き延び、戦後解放されました。やっとのことで自宅に帰りつき、「アウシュヴィッツは終わらない」(朝日選書)を執筆したのです。アウシュヴィッツという地獄から帰還した彼は何を考え、どのように自分と向き合い続けたのか、「休戦」(岩波文庫)からも示唆があります。
第64期生を送るに当たり、式辞のテーマは「自分と向き合うこと」になったのも必然かもしれません。鈴木道彦さんとプリーモ・レーヴィのお二人のことを話しながら、小職の頭の中もまた自身が「自分と向き合うこと」の意味や意義を考え続けることを自覚させられているのでした。贈る言葉が自らにやや居心地悪く響きながら。
同窓会の皆様のご多幸を祈念申し上げます。

自由研究の輝かしい成果

(フレッシュアップコミュニケーション24年版より転載)

副校長 荒井 正剛

本校が特に誇れるものとして、自由研 究が挙げられます。今では三年生全員に も課して、総合的学習の時間に組み入れ、 卒業研究と呼んでいます。作品を読むの は楽しみですが、私が担当する社会科の 作品は一学年五〇を下らないので、読む のは一苦労です。嬉しい悲鳴です。
縁あって、こどもの文化・教育研究所 主催作品コンクールに出したところ、複 数の作品が受賞しました。以来、文部科 学大臣賞を受賞した生徒も複数出まし た。
昨年度から旺文社が社会科や理科の作 品コンクールを始めたところ、数名が応 募しました。その中で、中学生による社 会科・理科の全作品から一人選ばれる文 部科学大臣賞を三年生が理科で、また、 それに次ぐ金賞を二年生が社会科で、そ れぞれ受賞しました。その他、社会科で 二名が入選、さらに学校特別奨励賞を社会科で本校が、それぞれ受賞しました。 本校の自由研究のレベルの高さが社会的 に認められたものと言えるでしょう。
今まではこうした成果を誇らしげに発 表することはしませんでした。しかし、 今はそれを宣伝すべき時代のようです。 保護者アンケートで、本校の良さ・すば らしさを、ホームページや学校説明会な どでもっとアピールすべきだというので す。学校説明会を本校でも六~七年ほど 前から実施しています。昨年は年二回実 施し、校内見学も入れました。
本校の応募者数は、残念ながら頭打ち 傾向にあります。そのようななか本校卒 業生のお子様が受験・入学されることが よくあります。これほど本校の良さを物 語ることはありません。それを学校説明 会で、自由研究に加えてアピールしてい ます。
最近では三月の卒業式に一期生の方が 八名参加され、四月に二一期生が二〇名 ほど学校にお出でになりました。中学校 時代を思い出してたいへん盛り上がった そうです。皆様も文研(文化研究発表 会)で生徒の自由研究作品をご覧になる など、ぜひ学校にいらっしゃり、懐かし い日々を思い出してみませんか。

三・一一後を考え続けながら歩み行かねば、と思うのです

(フレッシュアップコミュニケーション24年版より転載)

学校長 渡辺 雅之

同窓会のみなさま、小職はおかげさま で無事新任校長一年目を終えることがで きました。三・一一後に着任し、この未曾有の大惨事から何を学ぶことができ、 被災された多くの方々への思いをどのよ うに持ち続けることができるのか、いざ都心に大地震が起きたならばどう対処し なければならないのか、等仮想の避難訓 練ではない、リアルな避難訓練を考案・ 実施して、生徒諸君はもとより教職員や保護者にも「三・一一後」を考え続けてもらいました。そして、日本文学者のド ナルド・キーンさんの日本永住と帰化の報に接し、どれほど勇気づけられたこと でしょう。卒業式における式辞に取り入れずにはいられませんでした。
さて、この一年を振り返りまして、卓球部の顧問として技術指導をさせていた だいたことに感謝申し上げます。自身の中学生時代には指導者がおらず、ライバル校の友人がメキメキ腕を上げるのを試合ごとに実感した覚えがあります。だから、この時期に少しでも伝えたいと考え、 夏休みには部史上初の合宿も敢行しまし た(実際にはサッカー部と陸上部の合宿 に便乗したものですが)。そうした成果は、文京区内の試合や四附属戦等で例年と変わらない成績を残せたことに表れていると思っています。
また、文研の折には創竹会の喫茶「創竹庵」にてベトナム珈琲を淹れる生涯初のマスターを務めたことも印象に残る出来事でした。村山元総理からの要請でベ トナムと関わって早五年、現地で馴染んだベトナム珈琲の、独特な淹れ方(まず カップ内にコンデンスミルクを入れ、専 用の金属フィルターをカップに載せてお湯を落とす)を皆様に味わっていただいてうれしかったです。ベトナム珈琲を初めて知った方も多く、本当にたくさんの方に来ていただき、用意しましたベトナム珈琲の豆二㎏を全て使い切りました。 創竹会の売り上げにも貢献していただいて感謝、感謝の心でいっぱいとなりました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げ ます。

[退任挨拶]ありがとうございました

(フレッシュアップコミュニケーション24年版より転載)

国語科 鈴木 健一

今は亡き恩師のご紹介で昭和五十二年に赴任しました。以来、通算で三十二年と六ケ月、お世話になりました。
風情のある木造校舎、明るく元気な生徒、懐の深い保護者の皆様、そして器の大きい先輩方、たいへん恵まれた環境でした。
さらに、強制のない自由度の高い授業や研究も、のんびり屋の私にはありがたいものでした。竹早での仕事は楽しく、教員として幸せでした。
やがて校舎は新しくなり、人も過ぎていきましたが、それでも変わらない確かなものが脈々と引き継がれてきています。
そんな大好きな竹早を急に退職することになり、多くの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。
現在は、新たな立場で教育に携わっております。与えられた仕事をしっかりやり遂げることで、これまでに戴いたご恩に報いたいと思っております。ありがとうございました。
竹早中学校と同窓会のますますのご発展を祈念しております。

副校長挨拶~震災にも強い「竹早スピリット」~

(フレッシュアップコミュニケーション23年版より転載)

副校長 荒井 正剛

この度の大震災の際、本校では建物に被害はありませんでしたが、夜十時段階で167名の生徒が教室で泊まりました。「想定外」のこともいろいろ起きましたが、それを見事に克服したのが、教職員一丸となっての臨機応変の対応と、生徒と教職員の信頼関係でした。西原口副校長は、出張先の大学から、自転車を買って学校に駆けつけました。フジモリパン屋さんはパンをたくさん提供してくださいました。おにぎりをたくさん差し入れてくださった保護者もいらっしゃいました。
神戸で被災された先生方が、「全ての場合を想定した機能的なマニュアルは不可能」で、防災マニュアルよりも、ふだんからの生徒と教職員の信頼関係こそ防災対策である、また、「災害に強い学校」とは「子どもたちが主人公として大切にされ」「自分の持ち味を発揮できる学校」、「民主主義と自主性が尊重される職場のなかで教職員がいきいきと働ける学校」であると話していらっしゃいます。
これらは本校が大切にしてきた「竹早スピリット」で、このたいへんな局面を無事乗り越えられたのは,その伝統だと思います。
また、本校にそういう雰囲気があるので、卒業生がよく来校するのだと思います。教師としてとても嬉しいことです。もっとも、話が弾んで、つい時間が経つのを忘れ、仕事が後回しになってしまうこともありますが…。
私は新入生に、中学校時代の友達は将来にわたって気軽に話せる親友になることが多いと話してきました。それは自分自身の経験からで、私の母校では、ワールドカップの年に同窓会を開き、皆、中学生気分に戻って話が盛り上がり、帰りはいつも終電です。皆様も同窓会総会にいらして、竹早での思い出で大いに盛り上がって頂きたいと存じます。
そんなすばらしい竹早を益々発展させることに貢献できますよう、副校長として、これまでの御恩返しのつもりで、励んで参りたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

学校長挨拶 ―これまでを顧みて、これからの道のりを想う―

(フレッシュアップコミュニケーション23年版より転載)

学校長 渡辺 雅之

この度4月1日付で学校長として着任いたしました渡辺雅之と申します。同窓会会員の皆様におかれましては何かと母校のためにご尽力いただいておりますことに心からの感謝と御礼、そして敬意を表するものでございます。そして、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、小職着任前の3月11日に起こりました「東日本大震災」で被災されました方々、また、原発事故により避難を余儀なくされました方々に、一刻も早い復興と以前の生活が取り戻されますよう心から祈念申し上げます。これほどの大惨事に至るとは、東京に暮らす身としましては、想像力の欠如を身につまされているところであります。自分にできることを考え、日々実践し続けることを課し、少しでもお役に立ちたい、と思っています。
小職は、高校生の時に教職への道を選び、それは自身が果たせなかったインターハイ出場を教師として達成すべく、卓球の科学的な指導を旗印に練習し、学ぶ大学生・大学院生活の後に訪れる教職生活を夢見ておりました。しかし、想像以上に卓球の成績が上がらず、それがためにスポーツ科学にのめり込んだことが今日までの大学での教員・研究生活を継続させることになりました。この間、アトランタオリンピックまで卓球の代表選手のコーチ、「障害者スポーツ」との出会い、健康づくりのための安全な運動・栄養・生活の指導と研究、ウルトラマラソン(100㎞走、24時間走等)の実践と大会主催、海外スポーツ交流、味の素スタジアムにおける「難病と取り組む仲間とともに 響け!1万人の鼓動 ウォーク&ランフェスタ」開催と実に多くの経験をさせていただいて参りました。スポーツに関われたことが何よりの幸福でして、これには感謝する言葉すら見つからないほどであります。
そんな人間がこの竹早中学校に関われることは、これまでを顧みて、これからの道のりに、感謝という台車に夢や希望を載せて歩むことなんだ、と実感しています。教職員の皆様から多くの力をいただきながら、本校が目指す高い山に向けて歩を進めて参ります。

学校長挨拶 ―伝統を噛みしめて―

(フレッシュアップコミュニケーション22年版より転載)

学校長 山崎謙介

本校も新しい年度が始まり、第64期の入学生を迎えた。第2次大戦終了後の昭和22年に始まる学制改革により六・三制が制定され、新制中学の発足に伴い本校の前身である東京第一師範学校女子部附属中学校および東京第二師範学校女子部附属中学校として出発し、ともにこの文京区に設立されている。昭和24年には国立学校設立法施行令により、それぞれ東京学芸大学東京第一師範学校竹早附属中学校および東京学芸大学東京第二師範学校追分附属中学校と改称され、さらに昭和26年には、それぞれが“……師範学校”の名が消えていく。昭和29年には二つの学校が竹早地区に統合され、名前が東京学芸大学附属「新設」中学校となる。現在の東京学芸大学附属竹早中学校に改称されるのは昭和35年のことである。創立10年目、20年目などの節目にはそれなりの行事があったろうが、いま手元にある記録の類は創立40周年、50周年、60周年での記念誌のみである。そこにはそれぞれの期生による竹早中学への想いが語られ、本校が如何に卒業生により愛されているかが窺える。過日、第1期生の方がお見えになり、同期の友人が次々と他界していくにつれ、存命の方々が本校の卒業式、入学式に列席し、現在の生徒と心を分かち合いたい旨の心情を語られたというのを聞くにおよび、学校およびそこに学びあう人々の社会をさらに磨きをかけなければならないと心に決めたところである。

学校長挨拶 しおり「附属中学校の栄光」を拝読して――

(フレッシュアップコミュニケーション21年版より転載)

学校長 山崎謙介

表題にあります栞は過日、本同窓会副会長の田中元次さま( 同窓2期生)が本校にいらした折に届けてくださったものです。本校初代校長職にあられた鹿沼景揚先生による御著書『「奇跡」の教育』(1983年、日本教文社刊)の一部を抜き出したものですが、草創期のご苦労や輝かしさも垣間見え大変参考になりました。鹿沼先生は実は私が学芸大学に赴任した昭和48年には地学教室の教授として大学や教室の運営などで活躍しておられた上司でした。その意味で私とは奇縁もいうべき関係といえます。栞によれば、鹿沼先生が校長職を勤められたのは30代であったとのこと、現在の感覚では信じられないほどの若さです。先生は若いときからある信仰をお持ちになり、その教えに従い生徒や教員の皆さんに接しておられたようです。〝人間はすべて神の子?という考えから、先生は生徒や教員を信じ、また愛しておられました。もちろん中学生というのは思春期を迎える難しい時期ですから、その行動もヤンチャなことばかりであり、そのことは当時も今も変わることはありません。いくつかのトラブルをめぐるいきさつが記されていますが、いつも生徒を信じ、また愛する気持ちで接しておられ、ことを解決していく様の記述は感動的ですらあります。私にとって、これからの経営の指針にしたいと思っております。

おわりになりますが、昨年度から本年度にかけて、本校において人事の異動が少なからずありましたのでご報告申し上げます。まず退任の先生ですが永年本校の教育に従事され大きな貢献をされた国語科の川崎正夫先生が退任されました。また、数学科の田中義久、井部利亮先生がそれぞれ附属世田谷小学校、都立東高等学校に転出されました。替わりに新しく赴任された先生方は数学科では鈴木 裕、小野田啓子、小岩 大の3人の先生方、国語科の堀内 泰先生、理科の鈴木一成先生になります。また国語科の森 顕子先生が交流人事で附属小金井中学校に出向になり、先方から石井健介先生が来られました。

竹早中における「主体性」の育成

(フレッシュアップコミュニケーション18年版より転載)

副校長 池田 正雄

自分からやるべきことを見つけようとはせずで、ただ指示を待って、言われたことだけをする人という意味合いの「指示待ち族」という言葉が流行ってだいぶ経ちますが、先日新聞を読んでいますと『「主体性に自信」の大学生は3割 求人企業と大きなズレ』という見出しに目が止まりました。これは4月16日付けの朝日新聞で、読まれた方も多いとは思いますが、記事の内容は次のようなものでした。

―『就職活動中の大学生で「主体性」に自信がある学生は3割弱にとどまる一方、8割以上の企業は「主体性」を求め、採用企業と学生の意識に大きな隔たりがあることが経済産業省の調査でわかった。同省は、こうしたずれがニート急増の一因とみて、今後、大学や企業と共同で教育手法の改善に取り組む考えだ。―(中略)―「主体性」や「実行力」など12項目で、企業には新入社員に求める資質を、学生には自信がある資質を選んでもらった。質問文では、「主体性」の場合、「自らやるべきことを見つけて積極的に取り組む」と定義した。その結果、「主体性」に自信のある学生は28%で、12項目の中で下から3番目。一方、「主体性」を求める企業は84%と最も多かった。「実行力」も企業の81%が求めたが、自信がある学生は35%、「課題発見力」も企業の79%に対し、学生は39%と差が目だった。』―

「主体性」「自主性」などは性格や個人差もあると思いますが、社会生活を営んでいく上で大切な資質であり、子どもの頃から育てていきたい資質の一つと考えられます。本校の教育目標の一つに「自ら求め、考え、表現し、実践できる生徒を育てる」がありますが、これはまさに「主体性」の育成をねらったものであり、21世紀の国際社会を担っていく子どもたちにぜひ身につけてもらいたい資質であります。
「主体性」「自主性」などは性格や個人差もあると思いますが、社会生活を営んでいく上で大切な資質であり、子どもの頃から育てていきたい資質の一つと考えられます。本校の教育目標の一つに「自ら求め、考え、表現し、実践できる生徒を育てる」がありますが、これはまさに「主体性」の育成をねらったものであり、21世紀の国際社会を担っていく子どもたちにぜひ身につけてもらいたい資質であります。
本校ではあらゆる教育活動を通し「主体性」の育成をめざしていますが、特に、力を入れているものに自由研究、卒業研究があります。授業で培った基礎・基本を土台に自らの研究課題に取り組むことは、学習意欲の向上につながるばかりでなく、「主体性」の育成にもつながるものと考えるからです。また、運動会、文研、校外学習などの行事では、担当教員の指導のもと、生徒が企画・運営の多くの部分を主体性を発揮しながら積極的に取り組む姿が見られます。
この記事を読んで、一般的には最近の若者に「主体性」の低下傾向が見られるかも知れませんが、竹早中で学んだ子どもたちには「主体性」が育っていると確信しております。
最後になりましたが、昨年度の総合的な学習の時間に、特別講師として同窓生の井上真也氏( 36期)、森万見子氏( 44期)より、働くことの意義や職業選択についてご講演をいただきましたことをここにご報告するとともに、両氏に厚く御礼申し上げます。
同窓生の皆様、これからも母校竹早中学校に暖かいご支援、ご声援をいただければ有り難いと存じます。

平成十七年度を振り返って

(フレッシュアップコミュニケーション18年版より転載)

学校長 下條 隆嗣

今春、一六七名の生徒が元気に本校を巣立ち、そして代わりに一六八名の新入生を迎えました。本校は平成十九年度に六十周年を迎えますが、その伝統を保持しつつ、一方で時代に適応すべく少しずつ返信しております。
平成十七年度は、大きな事故や地震もなく比較的平穏な一年であったといえます。文化研究発表会における合唱コンクールや自由研究・卒業研究の掲示も従来通り継続されております。また、平成十七年度は国立大学の法人化二年目でありましたが、法人化以降、附属学校の点検・評価が明確に位置づけられ、その存在や活動に対する説明責任も以前よりも強く求められるようになりました。
一方、法人化以降、東京学芸大学では国から大学への運営費交付金の減少に伴い、今後数年間に五十、六十名の教職員の削減を余儀なくされる模様であり、教育研究組織の再編の動きも始まりました。この動きに関連して、本校も遠くない将来により基本的な面での何らかの変動を経験することが危惧されるところです。こうした状況下で、本校は存在意義を世に訴えるためにも、一層、教育力を高め、教育研究を推進する覚悟であります。
平成十七年度においては、ここ竹早地区にある附属竹早幼稚園・小・中学校が過去三年間以上取り組んできました「主体性を育む幼・小・中連携の教育」についての研究発表会を幼・小・中共同で十一月に開催し、盛会の内に終了いたしました。本校では同名の表題の「研究集録」を発行しました。この研究は今後も継続して参ります。
平成十七年度末から十八年度始めにかけて、例年のごとく、教員の移動等がありました。個人情報保護の観点から個人名の記述は控えさせて頂きますが、本校に永年勤務された英語担当のI教諭が本学附属高等学校(世田谷)へ、また数学担当のY教諭が本学附属世田谷中学校へ移動し、保健体育担当のI教諭が一身上の都合により退職されました。また新たに英語担当のS教諭、国語担当のT教諭、保健体育担当のY教諭、数学担当のI教諭が本校に赴任致しました。人事交流で他校に一年間出向されていた美術科のA教諭も、K教諭と交代で本校に戻りました。非常勤講師の方々や事務職員についても移動がありました。また本校の理科担当のS教諭は、東京学芸大学連合学校教育学研究科(博士課程)から、本年三月、めでたく教育学博士号を授与されました。
本校では、帰国生徒を毎年定員十五名の枠で受け入れ、一般生徒との混合教育を実施してきましたが、平成十七年度は本校における帰国生徒の受け入れ開始から三十年目でありました。この間、帰国生徒を取り巻く環境は大きな変容を見せましたが、本校の帰国生徒教育も徐々にその変容に対応して参りました(本校「研究紀要」第44号)。その他、平成十七年度には、入学試験における「抽選」の廃止と「面接」試験の導入、特別教育三教室へのエアコン設置などがありました。
ときどき、同級生の皆様より、ご挨拶状などを賜りまして感激致します。この紙面をお借りして御礼申し上げます。
次の日本をつくる新しい教育のあり方を、教職員一同真剣に求めて参ります。今後ともこれまでと変わりませぬ御協力をお願い申し上げます。

啐啄同時

(フレッシュアップコミュニケーション17年版より転載)

新海 宣彦

1974年春に沈丁花の甘酸っぱい香りただよう校門をくぐって以来、31年間竹早中学校に勤めさせていただきました。長くもあり、あっという間のようでもあります。終業式の日に2年生のUさんが「私の母が、先生が竹中に来た時のことを覚えていました。」と語っていました。親子二代のおつきあいと思うと随分長居をしたなとも感じます。個性豊かな先生方がつくりだす自由で融通無碍な空気が竹中の魅力でした。
先生方もさることながら、出会った生徒たちが魅力的でした。解剖実験後のカエルを「食べよう」と差し出す女性と、「我々のやり方が気にくわないなら殴ってくれ」と頬を差し出すバスケット部員、「苦界浄土」を読んで、単身水俣に飛びこみ取材をし自由研究をまとめた中1のOさん、夏休みを全てかけ綾瀬川の汚濁調査をし聞き取りをまとめたK君、母の難病を治した”幻の薬”「発光」を探索したKさん、シイやドングリの粉で作ったクッキーを持ち込み「物つくりクラブ」を創設し「人間クラブ」と命名したTさん、群馬の農家にのりこみ五年もののコンニャク芋を熱意でもらいうけてきたMさん、旧校舎の七不思議を探索し竹中の歴史を発表した1Aのみんな・・・等々、自主性と知的好奇心を旺盛に発揮し自らを輝かせていた生徒たちは、まさに枚挙にいとまがありません。こうした生徒のすばらしさをもとに、1987念、憲法と教育基本法に根ざして真理と平和を愛し、「自ら求め考え表現し実践できる生徒になろう」という教育目標が定式化されました。
閑話休題。禅宗では「啐啄同時」という言葉が使われます。「啐(ソツ)」は、鶏卵が孵化しようとするとき雛が殻を中からつつくこと、「啄」は母鶏がそれに応じて外から嘴で殻をつつくことを意味しています。それが同時とは、機を得て学ぶ人と師との両者の心が統合することを喩えているそうです。竹中は、この「啐啄同時」があふれる学び舎であったと思います。尤も、私は「附属生なんだから」と「啐」も聞こえないうちに、嘴でつついて生徒を傷つけることも多かったですが・・・。今、子育てばかりでなく、あらゆる企業でも相手の求める声を聞き分け、尊重して行動することが大切になっているように思います。

教育環境の整備に向けて

(フレッシュアップコミュニケーション17年版より転載)

副校長 池田 正雄

竹早地区の再開発に伴い、老朽化した中学校旧校舎が新校舎に改築されたのが平成9年3月、続いて小学校校舎が新築され小・中一体型の校舎が完成したのが平成11年12月のことでした。全附連(=全国国立大学附属学校連盟)による平成16年度校舎・体育館状況調査によれば、全国で築後35年経過が68校、40年経過が48校、50年以上経過が32校という、ひどい状況です。安全で機能的な校舎は教育活動の基盤でもあり、全附連の調査結果を考えると竹早地区は恵まれた教育環境と言えます。
しかし、これだけでは教育環境として十分とは言えません。竹早中学校では生徒たちが更に良い環境の中で学習ができるよう、昨年の夏休みに3年生の4教室、今年の春休みに1、2年生の8教室に、空調設備が設置されました。地球の温暖化によるここ数年来の異常気象と、都会特有のヒートアイランド現象がますます進む中、都心のコンクリートジャングルの中にある本校では、6月以降の各教室内の温度は想像を絶する程まで上昇します。しかも、交通量の多い春日通りに面していることによる車の騒音や排気ガス、更には、光化学スモッグ等に悩まされるという環境の中では、生徒達を学習に集中させることは非常に困難を伴います。特に、春日通り側の各教室は車の騒音がひどく、窓を開けておくことが極めて厳しい状況にあります。
一方、保護者の方々からも数年来ことあるごとに空調設備の設置の要望がありましたし、教員も設置を強く希望してきました。区内の私立学校はどの学校も当然のことながら空調設備は完備しており、隣接の都立竹早高校も早くから空調設備が完備していました。文京区内の公立小学校、中学校では普通教室の空調設備設置率は100%とのことであり、国立大附属学校だけが取り残された格好になっているのが現状でした。
そこで、この度、本校の教育活動、研究活動のご支援をいただいている教育後援会「創竹会」が、空調設備設置の募金活動へのご協力を呼びかけましたところ、同窓会、保護者の皆様、創竹会会員の皆様他多くの方々から過分な御譲金をいただき、普通教室12教室に空調設備の設置が実現いたしました。お陰様で、この夏は、生徒たちは快適な環境の中で学習ができるものと思われます。この場を借りて御礼申し上げます。
将来を担う生徒たちのために、今後とも教育環境の改善に向けて努力して参りたいと思いますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
最後になりましたが、昨年度の総合的な学習の時間に、特別講師として同窓生の二瓶好正氏(7期)、細田哲司氏(38期)より、働くことの意義や職業選択についてご講演をいただきましたことをここにご報告するとともに、両氏に厚く御礼申し上げます。
同窓生の皆様、これからも母校竹早中学校に暖かいご支援、ご声援をいただければ有り難いと存じます。

一年を振り返って

(フレッシュアップコミュニケーション17年版より転載)

学校長 下條 隆嗣

本校に就任して早くも一年が経過しました。
法人化元年ということもあり、あわただしい一年でありました。 生徒諸君は体育・文化関係の双方にわたり多数の受賞を得て、張り切っておりました。
施設面では、普通教室全てにエアコンが設置されました。同窓会はじめ創竹会・PTAの皆様からのご寄付のおかげです。これにより、生徒諸君の勉学環境が著しく改善されるでしょう。なお、特別教室にも設置される計画です。
入試では、平成17年度入試より抽選をやめ面接を導入し、本校によりふさわしいお子様を選考する態勢をとりました。
教職員の入れ替わりも多くありました。新海宣彦教諭(社会科)がめでたく御定年となり、また下里めぐみ教諭(保健体育)が一身上のご都合により退職されました。新たに上園悦史教諭(社会科)、伊藤彰子教諭(保健体育科)が着任され、また、東学大附属学校間の人事交流で他校に出向しておりました鈴木健一教諭(国語)、西原口伸一教諭(技術・家庭科)が本校に戻り、新たに本校の阿部眞士教諭(美術科)が他校へ出向し、入れ替わりに他校から栗田勉教諭(美術科)が本校に着任致しました。非常勤講師の方々の移動や事務係りの職員の移動もありました。
対外的には、OECDの教育視察団(1月)や中国北京師範大学(3月)の御一行が本校を訪問されました。 キャリア教育などの特集を組んだ本校のPTA広報誌「のぞみ」が読売新聞の全国小中学校広報誌コンクールにおいて、「佳作」を受賞されました。
財政面では、法人化後、一気に学校運営予算の20%以上にあたる削減があり、苦しい運営になりました。東海大や全国附属学校連盟におきましても、こうした構造の見直しが検討され始めております。
御年度は、研究面で11月に竹早地区の「公開研究会」を開催します。「主体性の育成」を柱にした幼小中連携教育の研究成果を全国からの教育関係者に披露する予定です。その他、特別教室へのエアコン設置、災害対策の強化なども検討課題です。
本校が新しい時代に対応する新しい教育を創造し実践する先駆者的存在となることをめざしつつ、個々の子どもの真の学力を伸ばし、また地域の人々に愛される学校になるように、教職員一同奮闘して参ります。同窓会の皆様には、これまでの本校への御支援・ご協力に感謝申し上げますと共に、引き続き御支援・ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

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